甲子園大会の酒田南vs明徳義塾の対戦、試合は酒田南が2-3で敗れたが、エース・会田隆一郎投手に涙は無かった。
中学時代から注目され、酒田南に入学すると1年生で145kmを記録するなど期待された投手だった。しかしその見えない重圧から2年生となった昨年の6月に突如ストライクが入らなくなり、イップスと診断された。その後、精神面のケアのための通院をすると共に復活を目指してサイドスローに転向するなど苦労を重ねたが、3年生の春に悔いの残らないようにとオーバースローに戻した。
なかなか1年生の頃には戻らないがそれでも徐々に試合を作れるようになると、甲子園の舞台で最速143km、140km台を連発し7三振を奪った。このピッチングにあるスカウトは「こんな安定したピッチング、見たことないよ」と話したらしい。
将来はプロ入りを目指しているもののまだ進路はわからない。しかし、この甲子園のマウンドが、プロのスカウトにとっても、そして自分にとって第一歩目となったはずだ。今後の成長に期待したい。
しっかりとした足取りで、下妻は甲子園を去った。涙は流れていない。「自分が打てなくて負けてしまった」。8回2死一、三塁で二飛に倒れた。左すねはまだ腫れている。けがを言い訳にはせず、真っすぐに前を向き、敗因を自ら背負い込んだ。ただ、ついさっきまで仲間と聖地でプレーしたことを思い出すと言葉が震えた。「最後…、みんなとここでプレーできてうれしかったです」。プレッシャーと闘った高校野球。すべてが脳裏を駆けめぐった。
サカナンに1年生大型バッテリー―。2年前の春、みちのくの高校野球界の大きな話題だった。会田は背番号1、下妻は2番を与えられた。大きな期待は重圧にもなり、会田は2年時、イップスに悩んだ。オーバーハンドからサイドスローに変えたが、最後の夏に向け、今冬、上手投げで勝負することを選んだ。
正解だった。球速が出ずに悩んだ最速145キロ右腕が、この日は初回から140キロ台を連発。あるスカウトは「こんな安定したピッチング、見たことないよ」と目を見張った。そのスピードは最後まで衰えず、会田は「最高のピッチングができた」と胸を張った。フォークも決まり、7三振を奪った。後悔は1つ。初回無死一塁でバント処理を二塁に悪送球したことだけだ。 全文はスポーツ報知のサイトをご覧ください。
「3年間で最高のピッチングができました」。苦しみを乗り越え、会田は笑った。昨年6月、突然ストライクが入らなくなり、ボールが打者の背中を通過。わずか6球で降板した。「イップス」(精神面が原因の投球障害)だった。絶望し、試合後に母幸子さん(39)にメールを送る。「野球をやめたい…」。しかし、続きがあった。「でも、僕が(女手ひとつで育ててくれた)母さんと妹(未来さん=11)を支えないといけない。プロを目指して家族を支えるためにがんばります」。初めて母に悩みを打ち明けた。それほど、つらかった。
絶対に復活する。そう信じて精神面をケアする病院に通い、昨秋には横手投げに転向。制球は定まったが、本当の自分ではない。「悔いのないように、上から投げよう」。今春から再び修正し、寮に入って野球に専念。そして最後の夏、地元山形の仲間たちと念願の甲子園切符をつかんだ。 全文はニッカンスポーツ・コムのサイトをご覧ください。
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