甲子園はセンバツで優勝し地方大会で完全試合を達成した投手も、簡単に飲み込んでしまう。
初回、先頭打者の熊谷敬宥選手にヒットを許すと、2番打者のバントをさせようとして投球のペースが早くなってしまう。結果的に投げ急ぎとなり、高めに投げると上ずり低めに投げるとワンバウンドしてしまい、抑えが効かなくなった。4番・上林誠知選手はボール球も振ってくれたため三振を奪えたが、その後も四死球を連発し押し出しで3点、徐々に制球を戻すもファールで粘られれヒットを浴び3点、合計6点を与えてしまう。
2回以降は立ち直り、味方も10点を奪ったが、初回に球数を投げすぎたため球数の増えた6回に左足に違和感を感じるようになると、4安打で4失点し同点に追いつかれた。8回には再び四死球でノーヒット満塁のピンチにしてしまうが、ここで小島投手の力を見る事になる。4番の上林誠知選手を三振に斬って取ると5番、6番も三振で三者三振でピンチを乗り切った。
9回は左足の状態が悪くなり水分捕球をするなどしたがヒットを許して降板すると、リリーフした3年生の山口瑠偉投手がヒットを打たれてサヨナラ負け、センバツ、関東大会と今年無敗を誇ったチームが、夏の甲子園は初戦で敗れ去った。
小島投手でもこのようになってしまう。しかし、この経験は来年に大きく成長した小島投手を見せてくれるだろう。怪物と言われた松坂大輔投手も2年生の夏は神奈川大会準決勝でサヨナラ暴投で敗れた。藤浪晋太郎投手も2年夏の大阪大会決勝で5点差を追いつかれてその後チームがサヨナラで敗れた。2年生夏のサヨナラでの敗退が、怪物と言われる二人の投手を作った。小島投手も来年は怪物と言われる投手になって欲しい。
小島の体は、もう限界だった。10―10で迎えた9回1死、初球を投げ終えた直後。左太もも裏がつった。脱水症状だった。それでも給水し、再度マウンドに上がった。1人は打ち取り、延長戦まであと1死。だが、182球目を左前安打された。2番手・山口瑠偉がブルペンから駆け寄ったのが、視界に入った。
「誰にも譲りたくなかった」。もうろうとする意識の中で、はっきりと首を横に振った。しかし「彼をここで潰したくなかった」と森士監督(49)。「試合を壊してすみません」と先輩に言い残してベンチに戻ると、普段はクールな男が、泣き崩れた。直後に山口がサヨナラ打を浴びて、史上8校目の春夏連覇の夢は初戦で途絶えた。
試合後、うつろな目をしたまま、お立ち台に上がった。「自分が初回から足を引っ張った。自分のせい。試合を壊してしまって、先輩たちに申し訳ない」。何度も自らを責める言葉を繰り返した。 8回無死満塁3者三振も… 死闘だった。1点を先取した初回。5四死球の大乱調で6失点。「直球が全部抜けてしまった」。味方が3、4回に計9点を奪い逆転。すでに体に異変を感じていた4点リードの6回、味方の2失策が絡んで同点に追いつかれた。それでも、8回は圧巻だった。初回に続く無死満塁のピンチに「小細工じゃダメだと思った」。4番・上林誠知からオール直球勝負で3者連続三振。182球すべてにエースの魂が、こもっていた。
「自分の力不足です。情けないです」 5試合をほぼ一人で投げ抜き、計3失点と抜群の安定感を誇ったセンバツでの姿はなかった。立ち上がりから直球が高めに抜け、一回に3つの押し出し四死球を与えるなど、5四死球3安打で6点を失った。
六回にも4安打に失策が絡み4失点。八回に無死満塁のピンチを3者連続三振で切り抜け、立ち直るかに見えた直後には、アクシデントに見舞われた。
左脚をつって九回二死で降板。交代を断りいったんは続投。「自分が試合を壊した。最後まで投げなきゃ」とエースの意地を貫こうとしたが、その後右腕の山口瑠偉投手(3年)に交代。先輩がサヨナラ打を許すのをベンチで見届けた。
「自分が…、初回から試合を壊して…。自分の責任。試合を壊してしまって申し訳ない…」
おえつと無念の言葉が交差する。試合後のインタビューエリア。立っていられない。ふらつく足取りで関係者の用意した椅子に座り込んだ。氷嚢(ひょうのう)で後頭部を冷やし声を絞り出した。「絶対にチームを勝たせるんだと強い気持ちで最後まで投げようと…」。4カ月前、春に輝いた優勝左腕の面影はない。春夏連覇の夢は初戦で散り、2年生エースは敗戦の全てを背負い込んだ。
異変は初回からだ。直球が全て浮く。3つの押し出し四死球など53球も投じて6失点。下半身が安定せず、なかなか修正できない。3回に自らのタイムリーなどで逆転したが、6回に軸足(左足)に違和感を覚えた。4失点で同点。水分摂取をしながら、8回無死満塁は3者連続空振り三振に斬った。全12球全て直球だった。だが、力を使い果たしたのか、9回に左足が痙攣(けいれん)。ストレッチを繰り返し、スポーツドリンクを飲んでも回復はしない。2死後、小野寺に左前打されたところが限界だった。
悪夢の11失点。182球で強制降板。「代われるなら私が代わってやれれば…。最後までいかせたかった」。森監督は小島の苦労を知るから、そう言った。埼玉大会準々決勝では埼玉平成を相手に完全試合を達成。同大会を制した翌日から毎朝5時起きで5キロを走り込んだ。順調に見えた春夏連覇への道。だが、見えない重圧と猛暑が小島の体を追い込んでいた。
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