日本ハム退団選手の進路

北海道日本ハム球団ニュース

日本ハムより戦力外となり、自由契約または任意引退をした選手の進路をまとめます。

日本ハムの自由契約・任意引退選手の進路

選手名守備通算成績ドラフト出身進路
中島聡捕手1550試合打率.232、349打点1986年ドラフト3位・阪急鷹巣農林日本ハムGM特別補佐
木佐貫洋投手215試合62勝72敗10S2002年ドラフト自由枠・巨人亜細亜大巨人スカウト
増渕竜義投手157試合15勝26敗2006年高校ドラフト1位・ヤクルト鷲宮高現役引退
佐藤賢治外野手115試合打率.207、30打点2006年高校ドラフト2位・ロッテ横浜高未定
斉藤勝投手9試合0勝0敗2010年ドラフト6位セガサミー会社員
森内寿春投手68試合0勝1敗2011年ドラフト5位JR東日本東北西武打撃投手
佐藤正尭捕手1軍出場なし2014年ドラフト9位愛知啓生未定

 

 

中島聡選手は1986年のドラフト3位で鷹巣農林高校からプロ入りし、阪急、オリックス、西武、横浜、日本ハムと渡り歩き1550試合に出場した。日本ハムでは兼任コーチとして数年間指導を続けている。

木佐貫洋投手は川内高時代に140キロ中盤を投げる大型投手として注目され、松坂世代でドラフト上位候補にも名前が挙がっていた。亜細亜大に進むと大学4年に2季連続MVPを獲得するなど急成長を見せ、自由枠での争奪戦となり巨人が獲得した。1年目で10勝を挙げて新人王を獲得したが、3年目に右肩を骨折、2007年に12勝を挙げて復活を見せたものの2010年にオリックスに移籍する。オリックスでは1年目に10勝を挙げると、2013年に日本ハムに移籍し1年目で9勝と、1年目に結果を残す選手だった。

増渕投手は右サイドから140キロ中盤の速球を投げて15奪三振ノーヒットノーランなどを記録、田中将大選手、斎藤佑樹投手の世代を代表する投手として注目され、ドラフト会議ではヤクルトと西武が指名競合しヤクルトが獲得をした。プロでは5年目に7勝11敗と1軍で活躍を見せたが、2014年の3月31日に日本ハムのトレードで移籍、日本ハムで1軍の登板はなかった。

佐藤選手は福田永将選手(中日・2006年高校ドラフト3位)、下水流昂選手(広島・2012年ドラフト4位)、西嶋一記投手(富士重工)の同学年や、1年下の高浜卓也選手(千葉ロッテ:2007年・阪神・高校ドラフト1位)とともに2006年のセンバツ優勝に貢献、外野手だった。派手さはなかったものの確実な打撃と守備が評価され高校ドラフト2位で千葉ロッテ入りする。しかし1軍出場はなく2010年に無償トレードで日本ハムに移籍、1軍で115試合に出場した。

斉藤投手は修徳高校時から長身左腕投手として活躍、140キロの強い速球を投げていたが制球難の課題も指摘されていた。セガサミーでも4年間は故障などで活躍はなかったが5年目に投げられる状態になると、実績はないものの力強い球を投げ日本ハムが6位で指名した。プロでは9試合の登板にとどまった。

森内投手はJR東日本東北に在籍し1年目からチームのエース格として投げていたが、5年目となった2011年は震災の影響で社業を優先する状態となっていた。しかしドラフト直前の10月24日に日本選手権で完全試合を達成し、北海道日本ハムが5位で指名して話題となった。プロでは1年目に56試合に登板し16ホールドを挙げた。

佐藤選手は168cmと小柄ながら44本塁打を記録し、ドラフト候補としては無名だったが日本ハムが隠し玉としてドラフト9位で指名した。強肩でもある遊撃手などを務めていたがプロでは捕手に転向を打診されプレーしていたが、1年で戦力外。通常、ドラフト9位とはいえ契約金1000万円を支払った選手を1年で戦力外とすることは考えにくく、何かあったのかもしれない。

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